現代文は最初に<森>をみる

美和台の塾と並行して、オンライン授業をする今日この頃。

共通試験とはまだ無縁の高1の現代文の授業の話です。近代化を目指す日本における、夏目漱石と正岡子規の視点を対比的に述べた評論文。

近代文語文でありがちな「カタカナ語」のような表現のせいで、一体何の話をしているのかわからなくなったとのこと。なるほど、その気持ちはよく分かります。ただ、それでもまずは全体を俯瞰して読まないといけません。

この文章は、大きく分けると「夏目漱石」と「正岡子規」の視点の2つのみ。さらに時代背景が決まっています。まずは、彼らが対比的に述べられていることをチェックできるかがポイントです。

次に、「何において対比されているか」を確認。簡単にまとめると、「近代化に進む日本」と「諸外国を見下す西欧」との対比が述べられています。僕はこの段階で、前者をA、後者をBと記号で整理することを勧めます。

日本にいたまま、Aの視点をもつ者が正岡子規。一方、Aの意識を持ってBへ訪れた夏目漱石は、かえってAとBの差にとまどい、複雑な心境になります。この文章はそんな対比で締めくくられました。

僕は生徒に、「現代文は<木を見て森を見ず>になることを避けよ」と伝えるようにしています。論理構造(森)を捉えることで、それぞれの傍線部が「どのカテゴリー(木)」に属しているのか把握しやすいからです。学生時代、この能力を磨いたおかげで非常に得点が上がったと思います。

今後、文章の要約演習をしながら、論理構造の把握を鍛えていきます。

それでは。