「小論文で大切なのは発想力」という意見に思うこと

オンラインで小論文の指導をすることが度々あります。

受験する学校によってテーマは様々ですが、基本的に文法・構成を添削することには変わりません。

ふと文章構成について調べていた際、知恵袋で揉めている方がいたのでご紹介します。「大学受験の小論文において最も大切なものは発想力である」という意見について言い争っていました。

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一人は、「入試小論文は、相手に自分の主張を納得させることが本質ではなく、自分の考えの独自性をアピールするもの」であると主張しています。また、慶應義塾大学(法学部)の入試問題の評価基準を例に挙げ、「理解力・構成力・発想力・表現力を評価の対象とする」とあることから、「それらの中でも発想力が大切である。」と主張しております。

もう一人は、「発想力に関しては、基本的にあらゆる知見が必要であるため、上記4つの要素の中で突出して受験生に求めているわけではない。」と主張しました。

この二人の回答者に対し、前者がベストアンサーとなっていました。

さて、皆さんはどう思われましたか?

私は後者の方が正しいと思います。出題する学校の方針にもよりますが、少なくとも上記の例では、明らかに4つの要素が並列して求められているものであり、発想力は特に重視されているわけではありません

例えば、参考書の模範回答を見て、果たして「画期的なアイデアだ!!」と思うことはあるでしょうか。

回答のアイデアが、予想を大きく外れることはないはずです。考えてみれば当然のこと。地球温暖化の改善策、キャッシュレス決済の浸透の是非などなど、小論文のテーマの多くは、絶対的な正解がなく、議論が続いている分野だからです。

「専門家もびっくりの画期的な案を出してくれるかもしれない!」なんてことを受験生に期待しないでしょう。

質問者が受験生であった場合、前者がベストアンサーに選ばれてしまったことが非常に残念です。

おそらく、前者による「慶應義塾大学という国内最高峰の大学の基準を参考にすると・・」といった趣旨の発言に説得力を感じたのでしょう。しかし、その基準には「発想力が最も大切である」といった要素は挙げられておりません。引用者による誤読です。

正直なところ、自分の主張のサポートのために恣意的な解釈をすることにはドン引きしています。さらに、「慶應義塾大学という国内最高峰の大学」と述べ、その権威を利用して質問者を納得させようとする姿勢にも、理屈による対話を放棄したものに感じます。

思うに、小論文は基本的に「文章を正しく解釈した上で、相手に自分の考えを適切に伝えること」が必要です。答案を見た際、以下のような減点要素で受験では差がつくのではないでしょうか。

・問いに対する回答として話が逸れている

・日本語の表現が不自然(因果関係などが不適切etc.)

・文章構成がまわりくどい(結論を先に述べず、譲歩や具体例を長く述べるetc.)

・問いへの考えが、筆者の意見や文中で挙げられた要素と被っている(思慮の浅さ)

私が今まで添削してきた小論文について、基本的に上記のいずれかの要素が見当たりました。今回の解釈論争について、やはり前者は、受験小論文を何か学術論文の類と混同しているように思えます。

受験小論文において、基本的に「とてつもない発想力を見せよう」など背伸びをする必要はありません。試験の制限時間内で、そんなアドリブで差をつけさせるなんておかしな話です。

差がつくポイントは、シンプルに「総じてまともな文章を書けるのか」というだけです。まともなコミュニケーションができる生徒を、どの大学も求めています。

その判定基準を細かく分けてみたものが、上記の4つの要素であるだけの話だと思います。

それでは。